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芸術はヒトに特徴的な活動、最も人間的な活動のひとつとされています。なかでも音楽は極度に抽象化された音の世界です。音楽は、ピッチ、持続時間、音色、音の強さなどの単なる音の物理的特徴の知覚だけでなく、音の連続的な響き、メロディー、和音、ハーモニー、拍子、リズムなど音と音との関係の理解を要求します。音楽には、音楽の表現の側面と音楽の理解の側面があります。
音楽は長いあいだ、言語と結び付けて考えられてきました。1895年、エドグレンは50人の患者を調べ、失音楽(音楽が分からない症状)と失語(ことばが分からない)の両方の症状を示す患者の数と、失音楽をともなわない失語の患者の数がほぼ同数であったのに対し、失語をともなわない失音楽は一例もなかったと報告しました。この考えは、20世紀の前半を支配しました。 この考え方に有力な反論があらわれたのは、1959年になってからです。ボウテズとウェルトハイムは、音楽能力の一部が損なわれた2人の音楽家の症例を報告しました。その報告によると、2人の患者の言語能力は比較的よく保たれていました。一人の患者は、経験だけで腕をみがいたアコーディオン奏者で、右半球の前頭葉に病変がありました。この患者は右利きでした。この26才の男性は、ことばを話すとき中程度の構音障害はありましたが、錯語(実際にない単語を話す)はなく、語彙の選択、ことばの理解、読み、書き、計算は正常でした。音の高低の弁別、知っているメロディーの再認も可能でした。一方、アコーディオンで示された音を歌ったり、リズムのパターンを再生したり、知っている曲を声を出して歌ったり、口笛で歌うことはできませんでした。もう1人は、本職のバイオリン奏者でしたが、左半球に病変がありました。これらの2つの症例では、いずれも音楽の表現能力が著しく障害されていました。 一方、失語をともなわない音楽の理解の障害(音楽失認)の患者は、1965年、スプリーンらによって報告されています。彼らの症例では、右半球の側頭葉の中央部、側頭極、島、前頭葉の一部、頭頂葉の一部に病変が認められました。この患者は、詳しい失語症の検査をおこなっても、臨床的に特に欠陥は見つかりませんでした。会話や復唱、事物の命名や記述は正確で、言葉の選択や文法もきちんとしていましました。しかし、音楽の認知が障害されており、非言語的な意味のある環境音の認知も障害されていました。また、別の症例では、音の弁別能力が正常なのに、メロディーの識別ができませんでした。 こうした症例とは逆に、重い失語を示しながら、音楽の能力はよく保たれていた症例を1965年、ルリアが報告しました。モスクワ音楽学校の作曲の講座を担当するシバーリン教授は51歳のとき一時的な言語障害と右半身マヒの症状が出ましたが数日で回復しました。6年後、ふたたび言語障害と軽度の右半身マヒを起こし、言語障害が回復しないまま、3年6カ月後心筋梗塞で世を去りました。この3年半の間、彼には非常に強い言語障害がありました。彼は、単語の言い間違いが多く、言いはじめても最後まで話をつづけられませんでした。また、実際の物や絵を見せられても、その名前を正しく言うことができませんでした。さらに、言葉の理解力も悪く、自分でも「単語の意味がわからない」と訴えていました。こうした言語障害にもかかわらず、彼は活発な音楽活動をつづけ多くの作品を作曲し、学生の作品を聴いて批評し、訂正しました。作品の内容も、病気になる前に作曲された作品に劣るものではありませんでした。 ところで、人の言語活動は、普通左の大脳半球で扱われています。言語野との関連が指摘されていた時期には、音楽能力も左半球と関係があると考えられていました。しかし、1962年、B・ミルナーは右半球のかかわりが示唆するデータを発表しました。彼女は、てんかんの治療で、側頭葉の一部の切除の手術を受けた患者を調べました。その結果、右半球の手術を受けた患者のなかに、聴覚刺激の識別のできなくなる場合があり、そのような患者ではとくに、音色と音の記憶のテスト成績が悪化していました。その2年後、D・キムラは左右どちらの大脳半球で音楽を聴くかを調べるため、両耳分離刺激法と呼ばれる方法を用いました。彼女の研究の被検者は、特別な音楽の訓練を受けていない正常な人でした。モーツアルト、テレマン、ビバルディーなどの作品のうち異なる曲を、左右の耳に聴かせたとき、メロディーを正しく聴きとる能力を調べたところ、右半球がより効果的にメロディーを知覚できるという結果になりました。さらにその4年後、シャンクウィラーが側頭葉に病変のある患者で同様のテストをおこないました。21人の左半球側頭葉に病変を持つ患者と24人の右半球側頭葉に病変を持つ患者で調べた結果、右半球側頭葉の病変によってメロディーの知覚の著しく低下することが示されました。1970年代になると、被検者のもつ音楽的知識や音楽の訓練のされ方によって左右どちらの大脳半球がはたらくかが違っている可能性がいくつかの研究室から提出されました。たとえば、ビーバーとキャレーロは、音楽の分析能力が増すにつれて、左半球は音楽処理に優位な方向へと変化すると結論しました。 ここに紹介した症例、あるいは、その後発表された症例を検討すると、前頭葉のブローカの領域に近い場所が音楽の表現に関係しています。また、側頭葉のウェルニッケの領域の近くは、音楽の認知に関係しています。右に障害のある場合は、二つの言語野の位置に対応する領域の近くにあります。音楽の機能は左右の半球のどちらに属するかについては、音楽的環境の違いによって異なるという考えもありますが、最近の脳機能イメージングのデータでも右半球の活動が多く報告されています。
関連項目:
(このページに関する連絡先:三上章允) |