時間特性は聴覚優位、聴覚が視覚判断を変える


 ヒトやサルは視覚が良く発達しており視覚動物と呼ばれる。確かに対象物の識別や対象物の位置の識別では視覚はすぐれた特性を持っている。聴覚と視覚を比較すると、双方とも体から離れた位置に発生した物理的情報を受容する共通点がある。しかし、視覚は聴覚に比べて情報の到達時間が速く、3次元空間位置の同定の精度が高く、高い空間解像度の他に、色、明るさ、動きなどの情報も高い精度でとらえることができる。視覚情報と聴覚情報が矛盾すると、しばしば視覚情報が優先される。そのため視覚優位という表現も使われる。

 一方、聴覚のすぐれている点のひとつは、360度、どの方角からの音も聞くことのできる点である。視覚は水平方向に約180度の視野を持つが、振り向くことなしに後ろを見ることはできない。また、高い解像度で見ることができるのは視野の中心付近だけであり、通常は視野の中心付近に注意が向いていて周囲の視野のできごとをしばしば見落とす。道路を歩いているときや自転車で走っているとき、音を聞くことにより我々は後方から近づく車にも気づくことができる。以下のエピソードはそのような場面での話である。

 私自身、初めてウォークマンを聴きながら自転車を走らせた時のこと。
 耳にイヤホンを付けて自転車をこぎ出した時、いつもとは勝手が違う、という緊張感に包まれた。どこがどう違うのか定かではないが、とにかくこのまま走るのは危ない、出会い頭に車にぶつかるのではないか、交通事故を起こすのではないか、とにかく今日は特別慎重に走らなければ、 ... そんな危機感が全身に広がった。
 なぜなのだろうか?
 しばらくすると、その理由がわかってきた。外界の音がいっさい聞こえてこないことがとても不安なのだ。私はこれまで、自分の周囲にいる車の気配を耳から感じとり、車が近づいているかどうか、私と車の距離はどのくらい離れているのか、といった状況判断を行っていたのであった。無意識のうちに聴覚でかなりの部分、状況判断を下していたのだ。」 
(山下柚実、「五感生活術」、文芸春秋、p166)

 聴覚が優れているもうひとつの点は、時間特性の識別である。脳における情報処理のための素子である神経細胞は電気を使って情報を伝える。そのため、神経細胞の電気活動を観察することによって脳の中の細胞レベルの情報処理を見ることができる。神経細胞の電気活動はオシロスコープで波形を表示して観察するのであるが、その波形を音に変えて耳で聞くと直感的に理解しやすい。特に、目では良く見えないような遠くの細胞活動のノイズに隠れた小さな波形やわずかな波形の違いも、耳で聞くと比較的簡単に聞き分けることができる。このように神経細胞活動を音で聞くときも、スピードの速い時間変化や時間変化のわずかな違いの検出は聴覚の方が優れているという原理を使っている。「脳の世界」の中にある神経細胞活動のビデオでも神経細胞の活動をオシロスコープの画像で示すと同時に、波形を音に変換してある。

 聴覚の時間特性が優れているために、時間的特長の識別場面では、視覚情報と聴覚情報が矛盾するとき、聴覚情報が優先される。(図1、2、3;Recanzone, G. H. Auditory Influences on Visual Temporal Rate Perception., J. Neurophysiol. 89, 1078-1093, 2003) この実験条件では、視覚刺激の呈示頻度が一定でも、聴覚刺激の呈示頻度が変化すると視覚刺激の呈示頻度の判断が変わってしまう。視覚の判断が聴覚によって変えられたのである。

図1 被験者は、1回目は1秒間に4回(4Hz)4発の光または音あるいあはその両方を呈示し、これを基準として2回目の呈示が同じか違うかを答える課題を行う。被験者は光か音のいずれかに注意を向け他方を無視するよう指示されている。注意を向ける方をTarget、無視する方をDistracterと呼ぶ。A:TargetのみでDistracterがなり条件、B:TargetもDistracterも2回目が異なる条件、C:Targetは不変で、Distracterが変わる条件、D:Distracterは不変で、Targetが変わる条件、

(Recanzone, G. H. Auditory Influences on Visual Temporal Rate Perception., J. Neurophysiol. 89, 1078-1093, 2003)

図2、■は音刺激単独呈示の条件で、1回目が4Hz、2回目が、3.5、3.7、3.9、4.1、4.3、4.5Hzの頻度のとき、2回目が高いと答えた比率。□は光刺激単独の場合。音単独の方が成績が良い。A:被験者Aの成績、B:被験者Bの成績、C:8人に被験者の平均値。(Recanzone, G. H. Auditory Influences on Visual Temporal Rate Perception., J. Neurophysiol. 89, 1078-1093, 2003) 図3、A:被験者には光刺激と音刺激を同時に呈示し、光刺激の頻度の差を答えるよう指示してある。2回目の呈示で光は一定で音のみ頻度を変えているにもかかわらず、音の頻度が変わると回答が変わる。B:音刺激の頻度の差を答えるように指示した条件。音刺激の頻度が変化せず、光刺激の頻度のみ変化する条件では、回答は光刺激からほとんど影響を受けない。(Recanzone, G. H. Auditory Influences on Visual Temporal Rate Perception., J. Neurophysiol. 89, 1078-1093, 2003)

このページのトップへ戻る

脳の世界のトップへ戻る

(このページに関する連絡先:三上章允)