動きで形を見る


 目で見る世界では多くのものが動いています。見る対象だけでなく観察者も多くの場合動いています。このような環境で動くものの将来の位置を正確に予測することは、生存にとって重要な作業です。図1は、「動きが見えなくなる」のページの図4の赤い線のみ取り出して描き直したものです。この図の黒い線は、正常なサルが目標を目で追いかけるときの視線の移動を示しています。目標が移動してもすぐには目は動かせないので目を実際に動くまでに目標が動いてしまいます。この例では点線で示した目標の動きから約150ー200ミリ秒(ミリ秒は1000分の1秒)遅れて、目が動きはじめています。正常なサルは、というよりは、正常なサルの脳は、自分の目が動きはじめるまでに目標がどれだけ移動しているかを毎回(目を動かすタイミングは毎回少しずつ違うので)正確に計算し正しい位置へ視線を移動することができます。この作業は無意識のうちにしかも短時間に行われます。さらに、目が目標に追いついた直後に目標の動きに合わせて目標を追いかけるように視線を移動させることができます

図1 縦軸は目標の光点または目の位置を視野の中心からの角度で示している。横軸は時間の進行をミリ秒単位(1000分の1秒)で表し、ゼロは目標の動き始めた時刻をさす。黒の点線は目標の動き、黒の実線は正常なサルの目の動き。実線が何本も重なっているのは全く同じ目標の呈示条件を20回繰り返し、毎回の目の移動の刻々の位置変化を重ね合わせてあるため。目標が移動してもすぐには目は動かせないので目を実際に動かすまでに目標が動いてしまう。正常なサル(の脳)は、自分の目が移動するまでに目標がどれだけ移動しているかを毎回(目を動かす時間は毎回少しずつ違うので)計算し正しい位置へ目を動かすとともに、その直後に目標の動きに合わせて目を移動させることができる。

 動きの視覚はこのように生命にとって重要な役割を担い、無意識のうちに将来の位置を正確に予測する機能を備えています。動きの視覚は動きそのものの視覚としてだけでなく、奥行きの視覚や形の視覚にも重要な役割を演じています。例えば私たちが頭を動かすとき遠くのものはわずかにゆっくり動き近くのものは大きく速く動きます。運動視差とよばれる現象です。私たちが片目で奥行きを判断するときには、この運動視差が役立っています。また、動きの違いは形の識別にも重要です。動いている物体は静止した背景から容易に分離でき、物体の認識を容易にします。保護色の蝶は静止していると発見するのは困難ですが、動くとすぐに分かります。図2はランダムドットで描かれています。静止した状態では全く図形は見えませんが、動きはじめるとリンゴの形が見えてきます。この現象はShape From Motionと呼ばれます。

図2 動きによる形の知覚。動きが止まると形は見えない。(作成:海野俊平)


 ところで、「視覚野はいくつある」のページでも書いたように、大脳皮質にはたくさんの視覚野があります。ヒトは、外界の視覚情報を眼球の後ろにある網膜上に2次元的に投影されます。大脳皮質の第1次視覚野と第2次視覚野には、網膜上に投影された位置、奥行き、動き、形、色、などの視覚情報のすべてがほぼ平等にもたらされます。第3次視覚野以降は、位置、奥行き、動きなどの空間情報は、第3次視覚野、3A野、第5次視覚野(MT野)などを経て、頭頂連合野へ送られます。一方、形や色などの形態情報は、VP野、第4次視覚野を経て、側頭連合野へ送られます。このように視覚情報の初期過程で、視覚情報処理は大きく二つの流れに分かれており、空間情報と形態情報は分離して扱われます。しかし、現実感のある視覚世界を脳内に再構成するためには、空間情報と形態情報は統合される必要があります。主として側頭葉に向かう腹側経路が関与する形態認知の場面では、色、明るさ、表面性状など形態視の要素ばかりでなく、動きや奥行きのような空間視の手がかりによっても形を識別することができます。また、ある物が動いているという認識には、形態と位置あるいは位置の移動の情報の統合が不可欠です。

<視覚における動きと形の情報の統合に関する実験> 

 実験1では、ある物体が動いているとき、その形態と動きの方向の両方、またはどちらかが手がかりとなる弁別・記憶課題を用い、形態情報と運動情報の統合過程を調べました。用いた8種類の図形は全て左右対称で、画面に平行な垂直線を軸上に回転しているように描かれています。図形表面には明暗のテクスチャーがあり回転が見えるようにしてあります。サルは回転する図形の回転方法が変わったとき、または図形が変わったときレバーを離すように訓練してあります。この課題の遂行中に、側頭葉の中央部を前後方向に走る上側頭溝の領域で形態情報と運動情報の統合に関与する細胞活動を記録されました。また、1つの細胞が複数の情報処理に共用されていることを示唆する細胞活動も存在しました。

関連文献:

Tanaka, Y. Z., Koyama, T., Mikami, A. (2002) Visual responses in the temporal cortex to moving objects with invariant contours. Experimental Brain Research 146, 248-256.

Tanaka, Y. Z., Koyama, T. and Mikami, A. (1999) Neurons in the temporal cortex changed their preferred direction of motion dependent on shape. NeuroReport 10: 393-397.

上記2つの論文で用いた課題のデモ(QuickTime movie)

 実験2では、空間視の要素である運動情報が形態知覚の決定的な手がかりなるShape From Motion( SFM) の条件を用い、空間視情報のひとつである動きの情報が形態知覚の決定的な手掛かりになるときの脳内情報処理機構を調べました。実験1と同様、側頭葉にある上側頭溝の領域には、運動を手がかりとした形態知覚に選択的に活動する細胞が存在しました。この領域の細胞は、ドット密度を変えて形の知覚の難易度が増すと、細胞活動も低下しました。この結果、この領域の細胞活動がSFM条件で形の知覚を作り出すのに重要な役割を演じていることを示唆します。また、上側頭溝の上の壁と下の壁では役割が異なっており、上は動きの情報を主として受け取り、動きに選択性を示す細胞や、動きの方向と形の両方の条件が特定の組み合わせのときのみ活動する細胞が存在しました。一方、下の壁は図形に選択性を示す細胞が多く、図形の手掛かりが明るさの違いであろうと動きであろうと同じ形に選択的に反応する細胞が存在しました。これら一連の研究結果は、主として動きの情報を扱う上側頭溝上壁と主として形の情報を扱う上側頭溝下壁の間で情報交換の行われる可能性を示唆しました。

関連文献:

Unno, S., Kuno, R., Inoue, M., Nagasaka, Y. and Mikami, A. (2003) Perception of Shape-from motion in macaque monkeys and humans. Primates, 44, 177-182.

図3 アカゲザルの大脳を右側から見たところ。STSと書かれている部分が上側頭溝。視覚情報は大脳の一番後ろ(図の左側)にある第一次視覚野から前方へと処理が進む。青の矢印は空間情報処理の経路。赤の矢印は形態情報処理の経路。


関連ページ:

動きが見えなくなる


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(このページに関する連絡先:三上章允)