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遺伝子導入で、2色型を3色型に変える


著者: Katherine Mancuso, William W. Hauswirth, Qiuhong Li, Thomas B. Connor, James A. Kuchenbecker, Matthew C. Mauck, Jay Neitz1 & Maureen Neitz

題名:.Gene therapy for red?green colour blindness in adult primates

論文表題の和訳 「赤緑色盲のオトナザルの遺伝子治療」

雑誌:Nature 電子版、2009年9月17日:doi:10.1038/nature08401

論文の背景 後述

論文の要旨

 生まれつき長波長の視物質を欠損している2色型のオスのリスザルの網膜に長波長視物質の遺伝子を導入した。その結果、網膜に導入した長波長視物質遺伝子を持つ視細胞が出現し、長波長の光を受容できるようになった。さらに、遺伝子導入したサルで色の検出テストをおこなったところ、遺伝子導入前には検出できなかった色も検出できるようになった。

この論文の意義

1. 遺伝子導入により、導入前には存在しなかった視物質が出現し、長波長の光に対する応答が網膜レベルで確認できた。新しい視物質を持った視細胞の出現範囲は、網膜の注入部位に留まらず、視野の周辺に対応する領域にまで広がっていた。

2. 導入前には検出できなかった色も検出できるようになった。「色は脳で見る」でも述べたように、私達が様々な色を「見る」ことができるのは脳の働きによる。網膜のレベルで長波長への応答が検出できても、それだけでは、この情報が脳で使われているとは言えない。この論文では行動実験により、色検出に、網膜からの新しい情報が使われたことを示した。

3. オトナのサルで遺伝子導入による色覚の変化が確認できた。脳は発達期に特別な可塑性を持っており、この時期を過ぎると可塑性は低下する。例えば、発達期の初期(感受性期)に様々な色を同時に体験できないと「色の恒常性」は実現しない。(「視覚野発達の感受性期」参照) ところが、この論文ではオトナのサルの脳は、新しい視物質によって検出した長波長の光情報を検出課題に用いることができる程度に可塑性は持っていた。

評価

1. 遺伝子導入により、網膜に新しい視物質が出現し、視物質が光の受容だけでなく色検出にも寄与していること、さらに、これらの変化がオトナのサルで可能なことを示した点で優れた論文である。

2. 行動テストは、3つの灰色の背景から色のパッチのあるものを見つける検出課題のみである。色覚の様々な側面をまだテストできていないので、この実験だけでは3色型と同じ色覚が獲得できたとは結論できない。

3. この論文はタイトルから遺伝子治療が可能ということを強調している。しかし、青緑色盲が遺伝子治療のリスクに見合う「障害」かどうかは疑問が残る。

論文の背景

 ヒトのヒトがいろいろな色を見ることができるのは、目の網膜にある光を受容する細胞(錐体)に光の波長感度の異なる3種類があるからです。視細胞は光の信号を脳が扱う電気信号に変える細胞です。視細胞には杆体と錐体があり、杆体は暗いところ(暗順応)で働き、錐体は明るいところ(明順応)で働きます。杆体にはロドプシンという視物質があります。ロドプシンはアミノ酸348個からできています。ロドプシンの中にレチナールという物質があり、レチナールが光に反応し形を変えることによって杆体に電機信号が発生します。レチナールはロドプシンに囲まれているので、ロドプシンがどんな波長の光を吸収するかによって、杆体の色感受性が決まります。ロドプシンは広い波長特性を持っていてどんな可視光にも反応できます。錐体にも視物質があり、ロドプシンと同様にレチナールを持ちます。錐体の視物質は3種類あって、アミノ酸配列の違いから光の吸収波長が異なります。短波長(S)の視物質はロドプシンと同じアミノ酸348個ですが、中波長(M)と長波長(L)の視物質はアミノ酸364個です。個々の錐体はこれら3種類の視物質のうちのどれか1つを持ち、3種類の錐体の応答の組み合わせによってヒトはいろいろな色を見ます。S、M、Lの3種類の視物質を便宜的に青、緑、赤と呼ぶことがありますが、それぞれの視物質の吸収波長は、かなり広く、そのピークも青、緑、赤にあるわけではありません。したがって、青、緑、赤と呼ぶよりも、S、M、Lと呼ぶ方がより正確です。

ヒトの網膜にある3種類の視物質のうち、LとM視物質遺伝子は相同性が高く、364個のアミノ酸配列のうち15個が違うだけです。また、L、M遺伝子はともにX染色体上にL、Mの順にタンデム(並列)に並んでいます。そのため減数分裂時に、L、またはM遺伝子の欠損や、不等交差や遺伝子変換によるLとM視物質遺伝子のハイブリッドができ、色盲や色弱を引き起こします。色盲・色弱の比率は日本人男性で5%、白人男性で8%に達します。そのほとんどはLまたはM遺伝子の欠損やL、M遺伝子のハイブリッドによるいわゆる「赤緑色盲」です。

ヒトは誇り高い動物です。人類こそが一番優れていると考える傾向にあります。ヒトを含むサルの仲間は霊長類として分類されますが、霊長類ということばの意味も、万物の首長であり、動物の進化の頂点という意味です。霊長類の英語表現primateもprime(最高位のという言葉)が語源となっています。ヒトの色覚も3種類の視物質を持つことにより様々な色を見ることができる点で他の動物よりも優れていると思われがちです。しかし、魚類、爬虫類、鳥類の多くは4種類の視物質を持っており、ヒトよりも豊かな色覚を持っていると考えられます。脊椎動物で最も進化したはずの哺乳類は、その大部分が2種類の錐体視物質しか持たない「赤緑色盲」です。哺乳類は約2億年前に爬虫類から分かれた頃、地球は恐竜の全盛期でした。恐竜は昼間に行動し、視覚に依存した生活をしていましたが、哺乳類の祖先は体も小さく、恐竜達が行動しない夜間に行動することによってかろうじて生き延びていました。哺乳類の祖先たちは夜間行動する中で4つの視物質の遺伝子のうちの中間の2つを失ったのです。霊長類の祖先もまた、他の哺乳類同様、2色型(赤緑色盲)からスタートしました。

現在、地球上には約250種の霊長類がいます。これら現生の霊長類は原猿類と真猿類に分けられます。原猿亜目のサルは霊長類の中では下等なサルの仲間です。真猿類はさらに広鼻類と狭鼻類に分けられます。広鼻類はアメリカ大陸に住み、新世界ザルとも呼ばれます。一方、狭鼻類のサルは、アジア・アフリカに住んでいるので旧世界ザルとも呼ばれています。類人猿やヒトも狭鼻類に分類されます。

原猿の仲間は、長波長(MーL)に対応する遺伝子をX染色体上に1座位しか持ちません。また、大部分の原猿は長波長の遺伝子を種のレベルで1種類しか持ちません。従って、S視物質遺伝子と合わせて2色型です。しかし、一部の原猿類(エリマキキツネザルやシファガ)は、X染色体に1つだけある視物質遺伝子に複数の種類があります。従って、この2種については、X染色体を2本持っているメスは3色型になる可能性があります。

新世界ザルは、約4000万年前にアメリカ大陸に移動し独自の進化を遂げました。これまでに12種類の新世界ザルの視物質が調べられています。それらの中で、夜行性のヨザルは1種類の錐体視物質しか持たず、ホエザルはヒトのように3種類の視物質を持っています。このヨザルとホエザルを除き、残りの新世界ザルは種としては複数の視物質を持つものの、X染色体上には1種類の視物質遺伝子しかありません。そのため、X染色体を1本しか持たないオスは、S視物質遺伝子と合わせて2色型になります。一方、X染色体を2本持つメスは、2本のX染色体上の視物質遺伝子が同じときは2色型に、違うときは3色型になります。この論文で実験に用いたリスザルは、こうした特徴も持つ新世界ザルに属します。

アジア・アフリカに残った旧世界ザルの祖先は、やがて類人猿として分かれ、その後、ヒトへと進化しました。これまで、旧世界ザル18種、類人猿4種についての視物質や色覚の研究がありますが、すべてヒトと同じ3色型でした。アジア、アフリカの霊長類すべてを調べ終わっていませんが、旧世界ザルや類人猿はすべてヒトと同じような色覚を持つとする見方が一般的です。

Abstract

Red?green colour blindness, which results from the absence of either the long- (L) or the middle- (M) wavelength-sensitive visual photopigments, is the most common single locus genetic disorder. Here we explore the possibility of curing colour blindness using gene therapy in experiments on adult monkeys that had been colour blind since birth. A third type of cone pigment was added to dichromatic retinas, providing the receptoral basis for trichromatic colour vision. This opened a new avenue to explore the requirements for establishing the neural circuits for a new dimension of colour sensation. Classic visual deprivation experiments1 have led to the expectation that neural connections established during development would not appropriately process an input that was not present from birth. Therefore, it was believed that the treatment of congenital vision disorders would be ineffective unless administered to the very young. However, here we show that the addition of a third opsin in adult red?green colourdeficient primates was sufficient to produce trichromatic colour vision behaviour. Thus, trichromacy can arise from a single addition of a third cone class and it does not require an early developmental process. This provides a positive outlook for the potential of gene therapy to cure adult vision disorders.

関連事項:

色は脳で見る

色覚の進化

新世界ザルの色覚

(この論文で使われたリスザルは新世界ザルで、オスはすべて2色型、メスの一部が3色型です。)

サルにも色盲がある

色の恒常性

視覚野発達の感受性期


 

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(このページに関する連絡先:三上章允