私たちは脳の3%しか使っていないって本当?

 脳に関する実践書には、しばしば不適切な記述を見かけます。その一つが「われわれは脳の3%しか使っていない」という記述です。例えばある本にはこんな風に書かれていす。「網の目のように張りめぐらされた大脳の情報の中で、私たちが実際に使っているのは、そのうちのわずか3パーセントにすぎない。」 従って、「あなたの中に眠っている97%の能力を目覚めさせる」必要があると。では、脳の97%は本当に使われていないのでしょうか? また、使われていない脳の領域や細胞を働かせることが脳の働きを高めることになるのでしょうか?

 まず、脳には領域・場所によって役割分担があり、与えられた課題によって関連した脳領域が主として働きます。従って、与えられた課題に関連しない領域は主要な役割を果たしていません。このように考えると課題によって働いていない脳領域があるということになります。しかし、そうした領域は別の課題では働いているのですから、「使われていない」とは言えません。また、脳の役割分担はその領域が他の領域から切り離され単独で働いていることを意味しません。特定の領域だけが働いて他の領域が完全に休んでいsるわけでもありません。主要な役割を果たす領域が働くとき、他の多くの領域と実は連携しながら働いています。特定の課題を遂行中に脳の中の神経細胞を調べると、感覚系から運動系まで広い領域の細胞が働いています。しかも、多くの領域の細胞がほぼ同時に働いています。さらに、組織学的方法やMRIを用いた手法によって領域間の連絡を見ると、情報が双方向性にやりとりされていることも分かります。つまり、いろいろな領域間を情報が行ったり来たりしながら神経細胞のネットワークは働いているのです。

 また、同じ機能を持つ脳領域の中でも神経細胞毎に役割分担があり、特定の条件でのみ働いています。例えば、視覚認知機能を担う側頭連合野の神経細胞の中には特定のヒトの顔を認識したときにのみ活動する神経細胞があります。こうした神経細胞は他のものを見たときや他のヒトの顔を見たときは活動しません。従って、ある条件、ある課題で働いていない神経細胞があるからといって、それらの神経細胞が使われていない訳ではありません。ある条件で働いていない細胞は他の条件で働いています。働いている細胞と働いていない細胞があることは重要です。活動している神経細胞と活動していない神経細胞があるからこそ適切な情報処理ができているのです

 さらにほぼ同じ機能を持つ神経細胞の集団を局所的に見ても、ある時刻に働いている神経細胞と働いていない神経細胞があります。神経細胞は活動電位を出した後500分の1秒は完全に休む必要があります。さらに、100分の1秒程度は活動しにくい状態にあります。たくさんの細胞が連携して働くので、一部の神経細胞が休憩していても問題はないのです。

 脳の神経細胞の活動を記録してみると、多くの神経細胞が一定レベルの活動電位を出し続けています。情報を送信しないときも一定レベルの活動を続けていることを自発活動と呼んでいます。こうした活動を続けることによって、活動が増えることによるプラスの情報だけでなく、活動が減ることによるマイナスの情報も伝えています。ほとんどの神経細胞は、情報を伝えないときにも完全には休まないのです。

 脳のいろいろな場所の神経細胞活動は、新しい課題に取り組むときに特に高まり、多くの神経細胞が活動します。いろいろな情報を取り込み、いろいろな可能性を検討する必要があるからです。学習が進み、同じ課題の処理に習熟すると働く領域は縮小し、働く神経細胞の数も減って省力化します。脳の領域が同時にたくさん働けば良いということはありません。繰り返しますが、働く神経細胞と働かない神経細胞の組み合わせが違うからこそ、脳は無限の可能性も持ち、様々な課題を処理できるのです。

 脳の神経細胞がそれぞれの役割に関係なく活動してしてしまった状態がてんかん発作です。てんかん発作では発作を起こした領域の多くの神経細胞が同時に狂ったように活動するため神経細胞自身を破壊する危険な状態となります。以前はこのような危険な状態を避けるため、てんかん発作の起きる場所を切除する手術が行われていました。現在では良い薬が開発され、服薬によるコントロールができるようになったため、そのような手術は行われていません。


 このように考えると、「3%しか使われていない」から「使われていない残りの97%を使うことで脳の機能を高める」という考えは間違っていると言わざるをえません。脳にはべらぼうな数の神経細胞があります。脳の複雑な機能は多くの神経細胞が働くことによって実現しているのであって、
3%の神経細胞では実現でできるものではありません。神経細胞の数は非常に多いのですが、それでも、その数は有限です。神経細胞の数が減っていくと複雑な処理ができなくなります。神経細胞の数が限界を越えて減ったことによって他人が見て分かるような症状があらわれたのが認知症です。




関連項目:

神経細胞の突起

地下鉄サリン事件

移動するシナプス



(このページに関する連絡先:三上章允)