シナプスは移動する:御巣鷹山に消えた神経科学者


 中脳に赤核という神経核がある。赤核のニューロンの神経線維は、脊髄まで下降して、運動のコントロールに関与している。脳を切り出して肉眼で見ると、この神経核は、赤身を帯びて見えるので、赤核の名前がつけられている。故塚原仲晃教授は、東京大学医学部から大阪大学基礎工学部へ移って以来、ネコの赤核のシナプスにおける可塑性の研究を続けていた。
 赤核のニューロンは、小脳の神経核(中位核)と大脳皮質から興奮性の信号を受け取っている。正常な場合には、小脳からの神経線維は、赤核ニューロンの細胞体にシナプスを形成している。大脳からの神経線維は、樹状突起にシナプスを形成している。まず、赤核のニューロンに細いピペット状の微小電極を刺し、小脳中位核を電気刺激した。急速に立ち上がるシナプス電位が記録された。電極の近くのシナプスに、電位変化が起きたからである。こんどは、大脳皮質からの神経線維を電気刺激した。シナプス電位の立ち上がりには、約五倍も時間がかかった。電極から遠い位置にあるシナプスに発生した電位変化が、記録電極にたどりつくまでに時間がかかったからである。
 つぎに、小脳中位核を破壊し、ネコを2週間以上飼育した。その結果、小脳中位核からの神経線維は死滅し、赤核ニューロンとのシナプスも消失した。この後、大脳皮質からの神経線維を刺激すると、立ち上がり時間の短いものが出現していた。大脳から赤核へ向かう神経線維から枝分かれ(側枝)が出て、かって小脳中位核からのシナプスがあった場所(細胞体近く)に新しいシナプスを作ったのである。
 この仕事は、シナプスの移動を示す有力な証拠と考えられた。シナプスの移動は、その後、電子顕微鏡でも確かめられた。このように、神経線維がちょうど芽を出すように新しく枝分かれしていく現象を側枝発芽と呼んでいる。

図1 小脳からの軸索(神経線維)が死に、そのシナプスが消滅すると、大脳の神経細胞の軸索の枝が小脳からのシナプスのあった場所につながる。(塚原ら1975年より改変)

 塚原らは、さらに、古典的条件づけでも、シナプスの移動の起こることを確かめた。まず、ネコを用いて、大脳皮質から直接脊髄へ至る経路と、大脳皮質から延髄を介して脊髄へ至る経路を切断した。つぎに、大脳皮質からの神経線維を電気刺激した。脊髄への経路がすでに切断されているので、大脳皮質に弱い電気刺激を加えても何も起こらない。こんどは、皮膚に電気刺激を加えると、「屈曲反射」を引き起こし、前足を曲げる反応が起こった。
 そこで、大脳皮質からの神経線維を電気刺激し、短い時間の後、皮膚に電気刺激を加えた。1日120回、約1時間この対の刺激を続けた。はじめは前足が曲がらないような弱い電気刺激に対しても、次第に前足を曲げるようになった。これは、大脳皮質からの神経線維への電気刺激を条件刺激として、皮膚への刺激を無条件刺激とした古典的条件付が成立したことを意味する。この応答の潜時は80ミリ秒と短いため、前足の屈曲は大脳皮質から赤核を経由して脊髄に至る経路によって引き起こされたと考えられた。条件付をおこなったネコの赤核を、前の実験と同様の方法で調べた結果、大脳皮質からの神経線維が枝分かれ(側枝発芽)し、新しいシナプスを赤核ニューロンの細胞体近くに形成していることが明らかになった。
 塚原らの一連の研究は、成熟した動物でも学習過程に伴なってシナプスのつく場所が変わり、その結果、情報の伝達する効率の高まることを示した。学習に伴う脳の変化については、それがシナプス部分に起こるということが、現在の研究者の一致した見解となりつつある。シナプス部分の変化としては、シナプス側枝発芽のほかに,シナプス棘と呼ばれる樹状突起部の疣のような小突起の数や形態が変化するというものや、形態的な変化を伴わない伝達効率の変化なども考えられている。


 1985年8月12日の夜、御巣鷹山に墜落した大阪行きの日本航空機に、これら一連の仕事を指導していた大阪大学基礎工学部神経生理学研究室の塚原仲晃教授が乗っていた。彼は、1986年から始まる文部省の特定研究「脳の可塑性」の最高責任者として準備に当たっていた。この日も、文部省との打ち合せの帰りであった。




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(このページに関する連絡先:三上章允)