カハールとゴルジ、シナプスのギャップ論争

シナプス、神経細胞と神経細胞の接合部

 神経線維(軸索)を伝わっていったインパルスはやがて、次の神経細胞(ニューロン)にたどり着く。ここで、神経細胞からつぎの神経細胞への信号の受け渡しがおこなわれる。二つの神経細胞の間には狭いギャップがある。シナプスと呼ばれるこのギャップでは、インパルスという電気信号にかわって、化学物質が信号の伝達を行う。シナプス部分で、細胞膜や原形質の連絡がなく、化学物質によって信号伝達が行われるため、このようなタイプのシナプスを化学シナプスと呼んでいる。シナプスの用語は、1932年にノーベル医学・生理学賞を受けたシェリントンが、接合部の意味をもつシノプシスというギリシャ語から命名したものである。シナプス部分にギャップがあるかどうかをめぐって、論争があった。その時代には、まだ電子顕微鏡がなかったために、光学顕微鏡で観察したシナプス像をめぐっての論争であった。ギャップがないと主張した人々は、神経細胞同士が網の目のように結合していると主張した。この主張は網状説と呼ばれた。一方、ギャップがあるとする人々は、それぞれの神経細胞(ニューロン)が、独立の構成単位であるという主張から、ニューロン説と呼ばれた。

 シナプスにはギャップはないと主張した有力な科学者のひとりがイタリアの内科医のカミッロ・ゴルジ(Camillo Golgi, 1843-1926)であった。彼は、硝酸銀を重クロム酸カリウムと反応させることで、クロム酸銀の粒子を神経鞘に固定させ、神経細胞の突起部分を染め出す染色法を開発した。彼の染色法は、ゴルジ染色法と呼ばれるようになった。ゴルジはこの染色法の開発のみでなく、筋肉が骨につく部分にある腱にある感覚器官(ゴルジ腱器官)や、細胞内小器官のゴルジ装置の発見者としても知られている。

 一方、スペインの神経解剖学者、サンティアゴ・ラモン・カハール(Santiago Ramony Cajal, 1952-1934)は、ゴルジ染色法などにより染め出した中枢神経系の組織を丹念に観察し、神経系は神経細胞(ニューロン)という非連続の単位によって構成されており、個々の神経細胞は、細胞体、樹状突起、軸索を持ち、神経細胞の接合部(シナプス)にはギャップがあると主張した。

 ゴルジとカハールは1906年にノーベル医学・生理学賞を受賞したが、お互いに全く異なる立場から受賞記念講演を行い、授賞式ではお互いに言葉を交わすことは無かったと伝えられている。シナプス部にギャップがあるという決定的な証拠は、電子顕微鏡によるものであったが、この論争は、カハールが、ゴルジ染色法で染めだしたニューロンの形を丹念に調べた後、ほとんど勝負がついていた。

図1 Santiago Ramon y Cajal, 1952-1934 
図2 Camillo Golgi, 1843-1926

図3 ゴルジ染色


化学シナプスと電気シナプス

シナプス部分に、ギャップがあるかどうかという論争は、ギャップがあるということで、ひとまず決着したが、その後、原形質どおしが連絡した、電気シナプスと呼ばれるタイプのものが見つかった。化学シナプスでは、細胞膜どうしは完全に離れており、その間に、20ないし30ナノメートル(1ナノメートルは、10万分の1ミリメートル)のギャップがあった。電気シナプスでは、細胞膜の間に2ナノメートル程度のギャップしかなく、しかも、2つの神経細胞の細胞膜が細い管を作って融合し、その管の通じて原形質が連絡している。この管が、シナプス部分全体に規則的に分布している。原形質が融合しているために、連絡しあう2つの神経細胞のどちらかに電位変化が起こると、イオンの流れとして、他の神経細胞へと電位変化が伝わる。そのため、シナプス部分での信号伝達の遅れ時間は非常に小さい。化学シナプスでは、0.3から1ミリ秒(ミリ秒は1000分の1秒)の遅れ時間があるが、電気シナプスでは遅れ時間は、ほとんどゼロである。その一方、単に原形質が連絡しているだけなので、信号の伝達の方向は、双方向性である。また、薬物の影響を受けにくく、信号の合成という点でも、殆ど役割を果たさない。

 電気シナプスは、甲殻類などの無脊椎動物や、鳥や魚などの比較的下等な脊椎動物で発見されたので、哺乳類では主要な役割を果たしていないと考えられた時期もあったが、最近は哺乳類でも見つかっており、その役割が注目されいる。化学シナプスでは、信号の合成、興奮性の信号と抑制性の信号の混合、信号の微妙な調整、信号伝達効率の変化による学習が可能になった。このメリットを得るために化学シナプスが支払った代償は、信号伝達の遅れであった。この時間の遅延は、数多くの神経細胞が同時に働き、パラレルに走る数多くの信号処理システムを働かせることによって補われた。一方、電気シナプスでは、殆ど遅れ時間なしに複数の神経細胞を同時に活動させることにより、細胞活動の同期などの役割を果たすと考えられている。

 

図4 化学シナプス、2つの神経細胞の接合部にはギャップ(シナプス間隙)がある。



図5 電気シナプス、上の膜と下の膜はそれぞれ接合する2つの神経細胞の細胞膜


参考文献:

萬年 甫 編訳 「神経学の源流2 ラモニ・カハール」 東京大学出版会

萬年 甫 著 「脳の探求者ラモニ・カハール」 中公新書


関連項目:

神経細胞の突起

地下鉄サリン事件

移動するシナプス



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