サルは考えるか?

 私は大学1年のとき「自然科学概論」という科目を履修した。その期末試験のときの衝撃を私は今でも鮮明に覚えている。この科目を担当した岡不二太郎教授の問題はただ1つ「犬は考えるか?」であった。私はとりあえず、犬は考えると解答することにした。試験は無事通過したが、私の書いた論理は今から考えればデタラメであった。禅問答にも、「猫に仏の心はあるか?」というのがあるらしい。どちらの問題も犬や猫がしゃべらない以上、なかなか決め手はない。とはいうものの40年近く脳の研究に取り組んできたのだから、もう一度この「問い」に挑戦してみても良いかもしれない。ここではイヌをサルに変えて、「サルは考えるか?」を考えてみることにする。

 われわれは考えるとき、言葉を使って考えるのが普通である。人間は、様々な概念に言葉をあてはめて、言葉によって考える。言い換えると、概念に対応した言葉を操作することによって、われわれは思考する。言葉を持たなくても、概念を持つことができ、概念を操作できれば、ある種の思考ができるはずである。このように考えれば、概念の形成は、言語的な思考の前提であり、概念の相互関係の操作は、言語的思考の端緒的な形態である。チンパンジーのレベルでは、この端緒的・原始的な「言語」を持ちそうである。いくつかの行動実験がチンパンジーに概念形成能力のあることを支持している。チンパンジーは、声道がヒトと違っていてために、ことばをしゃべることができない。しかし、記号や手話を用いた研究結果をみると、概念または概念に対応する記号の相互関係を理解し、短い文を作る程度の思考はできそうである。

では、ニホンザルやアカゲザルは、概念の形成や思考ができるのだろうか?概念形成は、具体的で断片的な知覚の集合、目の前の知覚像からの飛躍である。概念は、具体的な知覚を積み重ねて形成されたものではあるが、具体的な知覚そのものではない。その意味で具体的知覚から自由である。目の前のりんごのあれこれの知覚を集合し、それを過去の知識体系である概念と照合し、それが確かにりんごであると確認する過程は認識である。まだ見たことのない新しいくだものの場合も、過去の知識体系との照合の結果、様々な概念との比較のうちに位置づけられる。このように、次々と概念がわき起こり、それらが相互に関係づけられていく過程、いわば、概念の運動過程とでもいうべきものが思考である。一方サルも、様々な食べ物や、植物や、仲間のサルや、その表情や、ヒトなどの概念を持っていそうである。以前に霊長類研究所の心理研究部門でおこなわれた研究では、ニホンザルが、ニホンザル、アカゲザル、ベニガオザルといった種の概念を持つと考えて良い実験結果が得られている。そこで、私のとりあえずの結論は、サルはチンパンジーほどではないにしても、概念を形成でき、概念相互の関係を判断することができる。従って、原始的で端緒的な言語的思考ができる。また、たとえ概念形成に疑問があったにしても、現在進行形で得られる知覚像と過去の記憶とを照合し適切に判断し行動することができる。これも「思考」と呼んで良いであろう。
(「霊長類進化の科学」、京都大学学術出版会、2008年執筆から抜粋)


実は概念形成の問題の解明は私が脳研究を始めた動機のひとつであったので、類似の文章を以前にも書いた。以下は1991年執筆の新書からの抜粋である。

 われわれが考えるとき、言葉を使って考えるのが普通である。人間は、様々な概念に言葉をあてはめて、言葉によって考える。言い換えると、概念に対応した言葉を操作することによって、われわれは思考する。動物は、言葉を持たないが、概念を持つことはできそうである。言葉を使わなくても、概念を操作できれば、ある種の思考ができるはずである。このように、概念の形成は、言語的な思考の前提であり、概念の相互関係の理解は、端緒的な言語である。チンパンジーのレベルでは、この端緒的な言語を持ちそうである。チンパンジーは、声道がヒトと違っていてために、ことばをしゃべることができない。そのかわりに、記号や手話を使った研究が、日本の霊長類研究所を含む世界数カ所でおこなわれている。それらの結果によると、短い文を作る程度の思考はできそうである。

ニホンザルやアカゲザルでは、概念の形成や思考はできるのだろうか? 私が北大の医学進学課程の学生であったとき、自然科学概論という講義があった。講義を担当していた岡不二太郎教授の最後の試験問題は、「イヌは考えるか」であった。当時の私の答は、イエスであったが、今から考えれば論旨はデタラメであった。二十数年を経過して、「サルは考えるか?」と尋ねられれば、私の答はやはりイエスである。

概念形成は、具体的な知覚の集合、目の前の端緒的な知覚像からの飛躍である。概念は、具体的な知覚を積み重ねて形成されたものではあるが、具体的な知覚そのものではない。目の前のりんごのあれこれの知覚を集合し、それを過去の知識体系、概念と照合し、それが確かにりんごであると確認する過程が認識である。まだ見たことのない新しいくだものの場合も、過去の知識体系との照合の結果、様々な概念との比較のうちに位置づけられる。このように、次々と概念がわき起こり、それらが相互に関係づけれれていく過程、いわば、概念の運動過程とでもいうべきものが思考である。また、概念との照合の結果が認識である。様々の食べ物や、仲間のサルや、表情や、ヒトや、注射筒や、オリなどの概念と、それらの概念の相互関係の判断によってサルは行動する。霊長類研究所の心理研究部門でおこなわれた研究では、ニホンザルが、ニホンザル、アカゲザルといった種の概念も形成できそうである。

認識の生理学的理解の問題は、認識へ至る情報の統合過程の解析というステップを飛び越えて、認識に直接関与するニューロンを捜そうとする試みが先行している。それは、脳における「認識」機能の局在を、一個のニューロンのレベルまで進めてみようとする試みである。現時点では、一個のニューロンのレベルでの機能局在を肯定することも、否定することもむづかしい。



(「脳はどこまでわかったか」(講談社現代新書)、1991年執筆からの抜粋)



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