神経細胞の新生

学習によって神経細胞は新生するか?

 脳は認知、学習、記憶、思考、言語、運動制御など複雑な機能をこなします。私たち自身の自我の意識も脳なしにはありえません。このように複雑な脳の機能を支えるもっとも基本的な細胞は神経細胞です。神経細胞には情報を受け取る突起(樹状突起)と情報を送り出す突起(軸索)があり、電気信号を使って情報を伝えます。軸索は神経線維と呼ばれることもあります。神経細胞と神経細胞の接点は、軸索の先端がつぎの神経細胞の樹状突起や神経細胞の本体に接する場所、シナプスです。シナプス部分での情報伝達には化学物質が使われます。1つの神経細胞には普通数千個のシナプスがあり、受け取った情報の合成の結果がある条件に達するとつぎの神経細胞に情報を伝えるための活動電位を発生します。

 新しい課題を学習したり新しい環境に適応するとき、その成果は脳に残されます。このときに脳には何らかの変化が起きているはずです。脳の働きを支える最も基本的な細胞は神経細胞ですから、神経細胞に何らかの変化が起きていることが考えられます。一方、学習や適応には連合野と呼ばれる領域が最も重要な役割を果たしていることが知られています。そこで、学習にともなう脳の変化には、大脳皮質連合野の寄与が大きいと推定されます。学習にともなって脳にどのような変化が起きるかについて、新しい神経細胞がつぎつぎと生まれているという見方があります。もしそうであれば、連合野には新しく生まれた神経細胞が多いことになります。しかし、現在では脳の研究者はそのような見方に否定的です。体の他の組織の細胞を光学顕微鏡で観察すると、細胞の分裂像に遭遇することがありますが、神経細胞ではそのような細胞像が観察されることがほとんどありません。この事実は古くから知られていて、神経細胞は成人になってからは新生しないと考えられてきました。また、最近では様々なタイプの細胞を分子レベルで同定するマーカーの開発が進み、神経細胞のマーカーであるNeuN(neuro marker)や新生細胞のマーカーであるBrdU(bromodeoxyuridine)を用いた研究により、成人の大脳皮質連合野における神経細胞新生には否定的なデータが出されています。

 纐纈ら(2003)はニホンザルで神経細胞の新生を調べました。大脳新皮質ではグリア細胞のマーカーであるS-100βやIba-1に染まり、かつ新生細胞のマーカーであるBrdUに染まる細胞が多数見つかりました(図1)。しかし、神経細胞のマーカーNeuNとBRDUに同時に染まる細胞、つまり新生した神経細胞はほとんど見つかりませんでした。組織標本を作成し単純に上から観察するとNeuNとBrdUの両方に染まっている細胞があるように見える場合も、厚み方向に丹念に観察するとほとんどがNeuNで標識された神経細胞と、BrdUで標識された神経細胞以外の新生細胞が重なっていることが明らかになりました。このように大脳新皮質については、発達の初期、胎生期の終わり以降神経細胞はほとんど新生せず、減少しても補充されません。従って、学習や適応による変化はもっぱらシナプスで起きていると考えられます。

  このようにオトナのサルの大脳新皮質には新生神経細胞はほとんど見つからないのですが、嗅覚に関係した嗅球や進化的に古い大脳皮質にあたる海馬ではオトナのサルでも神経細胞の新生が見られます。嗅球や海馬における神経細胞新生の役割については現時点では信頼できる証拠は見つかっていません。しかし、嗅覚の受容細胞である嗅細胞の寿命は約1ヶ月で、新生細胞と頻繁に入れ替わっていることが知られており、また、嗅覚と同様に化学受容である味覚の味細胞も約10日の寿命で新生細胞と入れ替わることが知られています。これらの事実は、神経細胞新生がほぼ無限に存在する化学物質の受容への対応と関係している可能性を示しているかもしれません。一方、海馬は長期記憶が固定化するプロセスに関係しますが、認知過程の情報処理や記憶やその再生には直接関係していないと考えられています。この点で、海馬は認知や記憶を直接担う大脳新皮質とは違っている可能性があります。認知過程を担う神経回路や記憶内容を担う神経回路の神経細胞が入れ替わることは、一生に渡って学習内容や記憶を保持する大脳新皮質の機能にとってふさわしくないとと考えると、大脳新皮質では神経細胞新生がほとんどないということも常識的な結論と言えます。

図1 新生グリア細胞:A.新生細胞のマーカーのBrdUと、グリア細胞のマーカーのS-100βで2重染色された細胞、H.新生細胞のマーカーのBrdUと、グリア細胞のマーカーのIba-1で2重染色された細胞。深さ方向の再合成画像D,E,I,Jにおいても2重染色が確認できる。Kouketsu, Mikami, Miyamoto, Hisatsune (J. Neurosci. 23, 937-942, 2003)



図2 新生神経細胞のように見える画像。実際には、神経細胞以外の新生細胞が神経細胞の上に重なっている。A.上から見た画像、新生細胞のマーカーのBrdUと、神経細胞のマーカーのNeuNで2重染色された細胞のように見える。B,C.しかし深さ方向の合成画像で確認するとBrdU染色の細胞(赤色)の下にNeuN染色の細胞(緑色)が重なっていることが分かる。D-Iは同じ切片で深度を変えて見た画像。(Kouketsu, Mikami, Miyamoto, Hisatsune (J. Neurosci. 23, 937-942, 2003)


脳の障害からの回復過程で神経細胞は新生するか?

 外傷、出血、梗塞などによって脳に障害が起きると、障害を受けた領域の神経細胞が死滅します。では、脳の障害によって神経細胞が死滅したあと、新しい神経細胞ができるのでしょうか?纐纈ら(2006)によれば、人工的にカニクイザルの脳に梗塞をつくった後にも、大脳新皮質には神経細胞の新生は観察されませんでした。一方、嗅覚に関係した嗅球や進化的に古い大脳皮質にあたる海馬では神経細胞の新生が増加していました。また、彼らの研究によって、嗅球や海馬でみられた新生神経細胞の増加は、神経幹細胞から神経細胞への分化の割合の増加によるものではなく、神経幹細胞の分裂の促進によるものであることも明らかになりました。



文献:

Kouketsu, D., Mikami, A., Miyamoto, Y. and Hisatsune, T. Non-renewal of neurons in the cerebral neocortex of adult macaque monkeys. J. Neurosci. 23, 937-942, 2003.

Kouketsu, D., Furuichi, Y., Maeda, M., Matsuoka, N., Miyamoto, Y., Hisatsune, T., Increased number of new neurons in the olfactory bulb and hippocampus of adult non-human primates after focal ischemia. Exp. Neurology 199. 92-102, 2006.


関連項目:

神経細胞の突起

リハビリテーションの効果



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